「劇場文化」掲載エッセイ

アルルカンと天狗—東西の魔物が出会う
高田和文

アルルカンは、仮面即興劇コンメディア・デッラルテの代表的な登場人物で、イタリア語ではアルレッキーノ、英語ではハーレクィンと呼ばれる。コンメディア・デッラルテとは16世紀ごろにイタリアで発祥した喜劇の様式で、その後、ドイツ、フランスをはじめヨーロッパ全土に広まり、約200年にわたって宮廷や劇場で演じられた。

最も有名なアルレッキーノと言えば、ミラノ・ピッコロ・テアトロのジョルジョ・ストレーレル演出『二人の主人を一度にもつと』の道化役だろう。召使いのアルレッキーノが恋人同士の男女二人に同時に仕えるところから、混乱と騒動が巻き起こる。空腹を抱えながらも舞台狭しと飛び回り、持ち前の機転で巧みに窮地を切り抜けるアルレッキーノは、イタリアの民衆精神の象徴とも言われる。原作は18世紀の喜劇作家ゴルドーニだが、1947年、ストレーレルは当時ほとんど失われていたコンメディア・デッラルテの手法を用いて見事に現代に蘇生させた。その後、世界各国で上演されるようになり、1979年、1999年、2009年に来日公演が行われている。

フランスに渡ったアルルカンは時代とともに徐々に洗練され、道化役から一人の劇中人物へと変貌を遂げる。たとえば、18世紀フランスを代表する劇作家マリヴォーの作品には、貧しいが気立てのよい青年としてしばしば登場する。俳優の身体表現で観客を魅了するという伝統を受け継ぎながらも、物語の展開の中に自然に組み込まれ、決められた役割を演じる。ここではもはや、秩序をかき乱し、混乱を生み出す道化本来の性質はすっかり陰を潜めている。それはもちろん、人間の理性を至上とする啓蒙主義が広まりつつあった時代的背景によるものだろう。

アルレッキーノあるいはアルルカンがもともと魔物や悪霊と結びついていたことは、仮面の容貌からも理解できる。猫とも猿とも見えるその奇怪な面は、明らかに動物あるいは野獣を思わせる。また、中世のカーニバルの図像などでは、アルルカンはしばしば悪魔や地獄の使者として描かれている。

ミラノ・ピッコロ・テアトロの舞台に触発されて、アルルカンに秘められた民衆精神の根源を探り当てようとしたのが、山口昌男の『道化の民俗学』(1975年)である。その原型をギリシャ神話のヘルメスに求め、さらには文化人類学的考察を経て未開社会におけるトリックスター(いたずら者)と位置づける論考は、今なお刺激的である。その後続々と現れる道化論の先駆けであり、道化の復権を目指した同時代の演劇人の試みとも呼応していた。

太陽劇団のアリアーヌ・ムヌシュキンは『黄金時代』でコンメディア・デッラルテの仮面を用いて集団創造の方法を模索し、ノーベル賞作家のダリオ・フォーは『ミステーロ・ブッフォ』で中世民衆劇の復元を試みた。いずれも、既成の秩序の破壊者あるいは異端者としての道化に演劇的想像力の源泉を求めた。また、同じ頃に、それまで演劇の周縁に追いやられていたクラウンやサーカス芸が注目を浴びるようになった。これらの試みや現象は、演劇を「近代」の枠組みから解放し、より広い地平に導き出した点で重要である。

ディディエ・ガラスのこの作品では、アルルカンに何と日本の天狗が憑衣するという。一見奇抜な取り合わせだが、天狗もまた異界に住む魔物あるいは妖怪であり、古くは動物の化身と考えられていた。一般的な天狗のイメージは、山伏の装束に鼻が極端に長い面を着けた姿だろう。神あるいは霊的な存在として信仰や崇拝の対象となる一方、「天狗になる」という言い回しからわかる通り、狂言に登場する山伏と同様、皮肉や揶揄の的にされることもある。

天狗と聞いて我々の世代にとって懐かしいのは、映画の『鞍馬天狗』である。原作は大佛次郎の小説だが、アルルカンならぬアラカン(嵐寛寿郎)が演じる覆面の正義の使者「天狗のおじさん」の活躍に、少年たちは胸を躍らせた。魔物が転じて、民衆の願望の担い手になったところは、アルルカンにも通じるものがあるだろう。

高田和文 静岡文化芸術大学教授。専門分野はイタリア演劇、日伊の比較演劇論。論文に「コメディア・デッラルテと狂言—東西の笑いの交流」(『静岡文化芸術大学研究紀要』Vol.1、2000年)等多数。

ディディエ・ガラスの〈旅〉
大浦康介

アルルカンの先祖は悪魔だった?!

アルルカン(Arlequin)は、16世紀に成立したコメディア・デラルテと呼ばれるイタリア喜劇の登場人物のうちでも、おそらくもっとも人気の高いキャラクターである。アルルカンはフランス名だが、イタリアではアルレッキーノ、英語圏ではハーレクインと呼ばれる(ちなみに安ピカ恋愛小説シリーズである「ハーレクイン・ロマンス」の名称は、単にこれを出しているカナダの出版社の社名から来ているらしい)。

アルルカンといえば、トック帽に黒いお面、菱形模様の派手なコスチューム、そして手には長いこん棒〔下図参照〕と相場が決まっている。動きははしっこいが、じつはこの人物、たいへんな怠け者で寝るのが大好き。おまけに大食漢で、いつも腹を空かせている。役どころは召使い。機敏で、ずる賢く、シニカルだとされているが、こうした性格はレニャール、ゴルドーニ、マリヴォーといった17・18世紀の劇作家たちによって少しずつ作り上げられてきたもので、もともとはナイーヴで粗削りな人物であったようだ。さらに歴史を遡って中世にまで到ると……なんと、万国の軍隊を打ち負かし、あらゆる悪魔を配下に従え、女子供をさらって生きたまま食らったという、おそろしくも怪しげな「悪魔のなかの悪魔」へとたどり着く。今回、ディディエ・ガラスが私たちを誘うのは、まずはこのアルルカンの起源への旅である。

アルルカンは当初「エルカンHellequin」、「エヌカンHennequin」、「イエルルカンHierlekin」などと呼ばれた。いずれも頭にHがついていることに注意(ただしフランス語では発音されない)。今回のガラス作品の原題「(H)arlequin / Tengu」のHに括弧が付いているのは、新旧アルルカンの二重性を指している(今のArlequinの陰にはつねに昔の悪魔的なHarlequinが潜んでいるというわけだ)。アルルカンの起源には諸説あるが、ゲーテの詩にシューベルトが曲をつけて有名になった、ゲルマン(あるいは北欧)伝説に由来するあの「魔王Erlko(‥)nig」もそのひとつだと言われる。いずれにしても、悪魔起源説の動かぬ「証拠」は、アルルカンが被るお面の額の部分に見られる大きなほくろのような突起であるらしい。作品中でも言及されているが、それは昔生えていた悪魔の角の痕跡だというのである。

道化の背後に悪魔あり。そう考えたとたん、アルルカン劇に予期しない奥行きが生まれ、この慣れ親しんだはずの人物がなにやら怪しい光を放ちはじめる。「悪魔」はここではむしろアニミズム的な精霊に近いものと解釈すべきだろう(そういえばゲーテの魔王もエルフ(妖精)の王だった)。だからこそディディエ・ガラスの元祖アルルカンは時空を超えた普遍的存在たりうるのである。この人物があらゆる言語を話すのも、そう考えれば納得がゆく。

アルルカン、東洋へ行く

『アルルカン、天狗に出会う』で、主人公は、自分が歴代の劇作家や観客たちによって「とんまで滑稽な召使い」に仕立て上げられたことをしきりに嘆く。それだけではない。「アルレッキーノ」はいまやピザの名前にまで成り下がったのである。「ああ、情けない!」怒り心頭に達したアルルカンは自身の正体を明かす。「拙者は太古の時代からやって来た……悪魔のなかの悪魔だ!」そして自分がその昔、中国に行って「悪魔の最強の敵」鍾馗に出くわし、格闘の末、酒を酌み交わし、飲めや歌えの大騒ぎをしたあと、二人ともへべれけに酔って野壺にはまった顛末を語る。その後、アルルカンは黄海を渡って大和の国日本に赴き、京都は鞍馬山に登って、山奥に棲む天狗に出会うのである。まずは居丈高な山伏=小天狗に不快な思いをさせられるが(アルルカンの角を囓りとるのはこの小天狗である)、そのあと会見した僧正坊=大天狗は噂に違わぬ大人物で、二人は断崖に座して雲を眺めながら、平和な瞑想のひとときを過ごす。

このように本作品で展開されるのは、アルルカンの〈起源〉をめぐる時間のなかの旅であると同時に、異世界逍遥ともいうべき空間のなかの旅でもある。アルルカン、鍾馗、天狗――これら東西の、いずれも一癖も二癖もある人気キャラクターの出会いから立ち上るのは、近代劇成立以前の、見世物や祝祭の原初的なエネルギーである。そこでは、それぞれのキャラクターに押しつけられた紋切り型の人物像が破裂し、稀有なコミュニケーション空間が出現する。アルルカンと鍾馗が酔っぱらって肥溜めに落ちる? アルルカンと天狗が鞍馬山で意気投合? Why not !

私たち観客に求められていることはただひとつ。この元気とエネルギーをもらって、腹の皮がよじれるほど笑うことだ。

ディディエ・ガラスの〈旅〉

アルルカン、鍾馗、天狗――この日中仏(伊)の三人の組み合わせは、ガラスが2000年にアヴィニョン演劇祭で披露した『猿芝居Monnaie de singe』(ポルトガル・アルマダ演劇祭でグランプリ受賞)を思い起こさせる。そのときはアルルカン、孫悟空、太郎冠者の三人組で、今回のようにガラスがすべての役を演じる独り芝居ではなく、京劇院専属の中国人役者と大蔵流狂言師との共演だった。私もこの作品には構想段階から関わったのだが、彼らと北京で一週間ほど「合宿」し、毎日京劇院に通って基本動作の稽古を見ながら構想を練ったことが懐かしく思い出される。これが、ディディエ・ガラスがアルルカンを演じた最初である。

とはいえ、ガラスの1990年代のレパートリーに「アーメッド」という名のアラブ人「哲学者」が登場する作品『巧妙なアーメッドAhmed le Subtil』(アラン・バディウ作)があって、じつはガラス演じるアーメッドはのちの彼のアルルカンを予告していた感がある。私が彼と親交を結ぶことになったのも、京都の関西日仏学館でこの作品が上演されるのを見たのがきっかけだった。私にはこの独り芝居がたまらなく面白く、細長い棒をもって舞台を縦横に走り回るガラス扮するアーメッドをわくわくしながら見ていたことを今でもはっきり覚えている。

『猿芝居』のあと、ガラスは2001年にアルマダ演劇祭に出品した『アルルカン』を皮切りに、本格的にアルルカンものに取り組み、それはさまざまに形を変えながらフランス各地、トルコ、ドイツ、中国などで上演されて今日にいたっている。このうち、2005年に南京、上海、北京ほかで上演されたのが『アルルカン、鍾馗に出会う』で、ガラスはなんとこれを中国語で見事に演じ、地元の人々の喝采を浴びた。『アルルカン、天狗に出会う』はいわばその続編というわけだが、鍾馗との出会いは本作品にも盛り込まれているので、日本の観客も中国公演の雰囲気を部分的には味わえるはずである。

ディディエ・ガラスは信じられない暗記力の持ち主である。現代フランス語はもちろん、ラブレーの中世フランス語や、伊英独西の諸語、さらには「ガラス語」ともいうべきわけのわからない合成語や、ほとんど学んだことのない中国語や日本語まで、たとえ一時間前後にわたる長い台詞でも、音とおおよその意味だけをたよりに完璧に暗記するのである。驚嘆したのは、一昨年パリのバスチーユ劇場で見た『s.x.rx.Rx』と題された独り芝居でのパフォーマンスで、彼はそこで精神病院に何年も閉じ込められていた、「壊れた」フランス語を話す人物をえんえんと演じてみせたのである。ガラスのこの類まれな言語能力も今回の公演の見どころのひとつである。

ディディエ・ガラスは、来年は『トリックスター・アルルカン』をひっさげてイタリアに赴き、その後アメリカに渡る予定である。2012年には集大成ともいうべき『バベル』が予定されている。その名のとおりさまざまな言語が混じり合う、歌あり踊りありの音楽劇だ。

時空を翔るアルルカンの旅は、おそらく知的な歴史探訪でも、「異文化理解」の旅でもない。それは結局のところ、古今東西の人物を演じ、さまざまな国と言語と人々を目で見、耳で聞き、肌で感じてきたディディエ・ガラス自身の、懐疑と発見に満ちた自己探求の旅である。アルルカンとはディディエ・ガラスその人なのだ。私にはそう思われる。

大浦康介 京都大学教授。専門は文学理論。本作品にて台本執筆に協力。著訳書に『共同研究—ポルノグラフィー』(平凡社、近刊予定)、ピエール・バイヤール『読んでいない本について堂々と語る方法』(筑摩書房、2008年)ほか。